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「令和」の梅の花、「昭和」の梅の実〜昭和40年代、なつかしい祖母との思い出エピソード

更新日:2019年4月17日

三ヶ月ほど前のこと。近所に住むとあるご婦人から、古い梅酒の瓶があるのでヤフオクに出品したいんだと相談された。さっそく見に行くと、高さ40cmもある大きな瓶で、たしかに立派なものだ。当時のちょっとゆがみのある手づくりの雰囲気の残ったガラスの瓶で、昭和の半ば頃から彼女のお姑さんは、毎年この瓶いっぱいに梅を浸けていたそうだ。


瓶を出品するための写真を撮りながら、ふと、わたしの幼い頃の梅酒の思い出をこの瓶の出品コメントに付けてみようと思いついた。(古いものの魅力を伝えるには、エピソードが重要なのだ)そこで、下のような一文を書いてみた。ところがその後、この瓶はヤフオクに出す前に別のもらい手が現れたため、わたしが書いた思い出の一文はそのまま宙に浮いてしまった。


先日、新元号が「令和」と決まって、その名の出典が「万葉集」の梅花の歌会の序文からだと聞き、この一文を書いていたことを思い出した。この話は、令和の梅の花ではなく、昭和の梅の実のはなしだけれど、令和元年の記念に「梅酒づくり」というのも悪くないなと思い、ここに転載させてもらうことにした。


これを読んだ誰かが、わたしと同じような思い出を、他の誰かとつくろうとしてくれるかもしれない。たぶん、そんな思いをもって書いた、祖母とのエピソードです。




昭和の大きな梅酒瓶


 あれは、わたしがまだ小学生の頃だから昭和40年代だろう。一緒に暮らしていた祖母はまだ元気でいて、毎年こんなガラスの容器で梅酒をたっぷりとつくっていた。梅酒が浸かると、彼女は、瓶の中からしっかりと浸かった梅の実を取り出して、わたしに食べさせてくれた。たっぷりのリキュールと氷砂糖に浸け込まれた梅の実はとても甘くて香りが良く、一口噛めば口中で溶けるように拡がるその味と香りに、わたしはすっかり虜になっていた。(いま思えば、少々酔っぱらっていたかも 笑)


 梅酒が仕込まれると、青梅が大量に入ったゆらゆらした液体は長い時間をかけてゆっくりと琥珀色に変わっていく。それとともに、ピンと張りのあった若い梅の実は、徐々に皺々になって瓶の底に沈んでいくのだ。わたしは、食べごろはまだかまだかと、梅酒が入っている台所の流しの下を何度も覗いてみるのだが、梅の実が漬かる気配は一向に無い。あの頃のわたしには、ガラスの瓶はとても大きく見えていたが、時の経つのもまた、とても長くゆっくりだった。

 だから、そのうちわたしは梅酒のことなどすっかり忘れてしまう。でも、やがてまた梅酒の季節は巡って来て、梅酒を飲む祖母のそばで、わたしはまた梅の実の虜になっている。


 祖母はもう30年以上前に亡くなってしまったが、彼女が食べさせてくれた皺々の梅の実は、当時すでに皺だらけだった彼女の顔とひとつになって、わたしの心の奥底に沈んでいる。

 いまも梅酒を飲む機会があると、あの甘い実の記憶がよみがえり、やさしかった彼女の、梅酒を飲む満足げな笑顔がなつかしく浮かんでくる。



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