「ヤフオク!」で伊万里の猫が化けた! ★コレクターの方は、自身のコレクションの魅力を書き残すべきだ、というお話
- 栗原 聡
- 2019年3月20日
- 読了時間: 8分
更新日:2020年6月25日
数年前のことですが、いっとき猫の置物にはまり、しばらくの間いろいろと集めました。古い有田焼や九谷焼の招き猫から米国、ヨーロッパ各国のフィギュリン、バリ島やタイなど東南アジアの木彫り猫、エジプトやアフリカのケニアの彫刻もどきの石膏ものまで、猫の置物は全世界でつくられ、いろんなスタイルのものがあるので、なかなか楽しめるものです。
最近は猫の置物コレクション熱も冷め気味だったのですが、写真の伊万里の猫を、昨年たまたまヤフオク!(以下、ややこしいので正式名の「!」は省略)で見つけ、これまで見たことがないめずらしい姿だなと思い、ついつい何となく入札。そのまま競る相手もなく、うまく7千円という安値で落札できました(伊万里の古い招き猫はたいがい1.5〜2万円ほどが相場ですので)。
さて、猫は無事届いて、しばらく飾っていたのですが、うーん自分の趣味とはちょっと違う。少々美人(猫?)に過ぎたんです。(実はわたし、人も猫も、ちょっと“ぶさかわ=不細工・可愛い”が趣味なもので、笑)この猫は美しすぎて、わが家のぶさかわ猫集のなかだと、どうしても浮いてしまうのです。
そこで先日、わたしのもとに居るよりは、もっと美猫愛に満ちたふさわしい方のもとに送ってあげようと、再度、ヤフオクに出品してやることにしました。
まずは出品にあたってのコメント原稿をつくらねばと、何か似たものがないかとネットで調べてみたのですが、これがなかなか見つからない。伊万里は基本、輸出ものなので、海外なら見つかるかなと捜索範囲を拡げてみると、ありました!伊万里ではありませんが、そっくりの姿のものが米国に1点のみ。そこで、それを手掛かりに、さらに少々調べて次のような紹介文を作成しました。わたしなりに良い着眼点をもって書けたかなと思い、猫も文句なしの凛々しい姿です。ほかの伊万里猫の相場を上回って3万円ほどの値が付けばうれしいな、と勝手な皮算用をしていたのですが、いやはや、そんなわたしの読みはまったく甘かったです。
さて、オークションの結果は、如何に!?ということで、それはコメント原稿&掲載画像の後に記させていただきます。

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Imari Sitting Cat 里帰り品?伊万里の座り方の美しい猫の置物。年代物です。 ほぼ原寸大の猫サイズ / Looks Like The Gayer-Anderson Cat
(↑出品タイトルは検索や興味喚起の要になるので長いのです。笑)
座り姿の凛々しい伊万里焼の猫の置物。調べてみると、たぶん1900年代中期頃に海外向けに生産されたもので、現在、日本ではまず見かけないもののようです。
伊万里の猫は海外でも人気が高く、昔からかなりの量が輸出されているようです。日本でよく目にするのは招き猫や眠り猫ですが、縁起物のお守り的な招き猫はかなりデフォルメされたデザインで、眠り猫は意外とリアルな猫の姿を写し取ったようなものが多い気がします。
この座り猫は、伊万里の置物としては眠り猫の流れを汲むものらしく、猫の姿としては骨格から肉の付き方まで、かなり忠実に再現されています。ただ眠り猫は大概目を閉じていますから、開いた目の描き方は明らかに伊万里の招き猫風。あっさりとした三白眼に眉毛は細い筆で四本です。唐草花紋様と金箔での装飾は、招きも眠りも共通した伊万里猫の定番ですね。
さて面白いことに、この猫の座り姿ですが、逆にこのスタイルは欧米でかなりの定番デザインらしく、そもそもの起源を探ると、大英博物館に所蔵されているGayer-Anderson Catという猫の像に辿り着きます。この像は19世紀イギリスの著名なオリエンタル文化の研究家ゲイヤー・アンダーソンさんが大英博物館に寄贈したためそう呼ばれているのですが、実は紀元前数百年を遡り古代エジプト王朝で造られた、ネコの姿をした女神「バステト」を表した像なのだそうです。なんと、こちらも縁起物でした(笑)。
二千数百年前のエジプトの猫の像が19世紀イギリスに渡り、欧米のスタンダードな工芸デザインとなり、20世紀になってさらに海を渡って、たぶん米国からのオーダーで日本の伊万里の陶芸職人さんの手でこの座り猫がつくられた。オリエントからヨーロッパ、アメリカ、そして日本へ。地球規模で人類の文化・芸術が交わり融合していくなかで生まれた、文化史的にみても面白い作品ではないでしょうか。
ちなみに、この猫の風貌・スタイルはあきらかに和猫です。きっと伊万里の職人さんが家か近所にいる猫をじっくりと観察して、ていねいに形をつくった、本当に日本の猫らしい美しい座り姿、なかなかの味わいがあります。
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以上が、ヤフオク出品にあたって、わたしが作ったコメントと掲載画像です。
さて、オークションの結果は?というと、7日間の出品期間中、掲載画面へのアクセス人数は2千名を超え、ウォッチリストに登録した人が160名強、そのなかの18名が入札してくださいました。そして、終了時間を過ぎても数名の入札者によって競われ続け(ヤフオクでは終了時刻直前から入札のたびに5分ほど入札締切り時間が延長されるのです)最終的に約1時間ほど延長されてオークションは終了。───結果はなんと、最終落札額17万4千円!
いやはや、みごとな“化け猫”でした。わたしが落札した額は7千円でしたから、同じヤフオクで約25倍の値が付いたということです。
わたしは、伸び続ける入札額を前にしながら、このうれしい事態に驚きつつも「なぜこんな値が付いたのか?」「この差額はなぜ生まれたのか?」(少しでも高値が付くよう自分で仕掛けたのは事実ですが)その理由を分析的に考えざるをえませんでした。人は想定をはるかに超えたことが起きると、たとえそれがうれしいことであっても不安を感じ、拠り所となる答を探すものですね。
また少々長くなり過ぎそうなので、ここではできるだけ簡潔に、自分なりに考えた、この猫に高値が付いた理由を記します。
理由1,“猫”の置物として、その姿がとても美しかったこと=いま、空前の猫ブーム、だそうです。ヤフオクでも猫好きの人たちがたくさん出物を探しています。前にわたしが落札した際は、とにかく画像が酷かった。この猫本来の魅力の1/100も写し取れていないため、誰も注目しなかったけれど、今回はまずその人たちも含めてどんどんとアクセスが増え、注目率が高まり、結果、さまざまなコレクターに発見されることになった。
理由2,「伊万里」というブランドを持つ「レアな猫の置物」だったこと=伊万里コレクターと猫の置物コレクター、双方の興味を惹いた。たぶんコレクターの方々も知らなかった、初めて見る伊万里猫のスタイルだったので、「レア品」として双方のコレクション魂に火を付けたのではないか。
理由3,わたしが書いた「この猫の姿」が生まれた背景にまつわるストーリーがコレクターの方々に響いたこと=たぶん、最後まで競い合ってくださった方々は、わたしが書いたコメント文の内容に強く共感したからこそ、どうしても自らそれを確認したくなって、値段度外視で最後まで入札を続けてくれたのではないか。
そしてこの3つの理由からわたしが思うのは、以下のようなことです。
物の価値とはいったい何なのか? その評価はどのように生じるのか?
物の価値が認められるのは、その物自体が美しく魅力ある物であることは当然ですが、それと同時に、その物が“今、ここに、こうしてある理由”(歴史的背景)もまた、美と同等の大きな意味を持ち、支えとなっているのではないか?ということです。それはある意味、ブランド品と同じで、優れたバックストーリーやヒストリーがあるからこそ、持つ人の心と物が結ばれ、その存在が光り輝くものなのでしょう。
「物語」とはよく言ったもので、物について語れば、何らかの主観的な“ストーリー”がそこに語られるものです。では、今回わたしがこの猫の置物から語ったストーリーは、いったいどのようなものだったのか?たぶんそれは、「伊万里」を縦糸に、そして「世界」横糸にした、二千年の時をかけて海を渡り伊万里の職人さんと出会った“座り猫”の物語。いや、実際は、すでにご覧のとおり、猫の置物を前にしてわたしが感じたこと、思ったことを、ただつらつらと書いただけですが。
でもひとつだけ、コメントを書きつつ考えていたのは、最後の締めは「この猫をつくった人の様子」にしたい、ということでした。それは何故か?というと、なかなかうまく言葉にはできないのですが、「すべての物は必ず誰かがつくっており、ゆえに物には必ず“つくった人の心(感情や思い)の痕跡”が遺されているはず」と信じる、わたしなりの思いからです。
コレクターになる人は、なぜ物に魅かれ、物を蒐集し所有したがるのか?と考えたとき、やはりそれは、「直に手で触れ、眺め、ときには使って、初めてわかる」ことがあるからでしょう。では何が「わかる」のか、というと、まさにそれこそが“つくった人の心の痕跡”です。
物を所有するとはすなわち、所有者とつくり手が“時空を超えて心を交える”ことであり、極めてパーソナルな体験です。それはたとえば、形をつくり、筆を運ぶ手の動きであったり、あるいは、その人が見た色であり景色であり。その人の厳しさや優しさ、感動、ときには哀しみや戸惑いや倦怠でさえある。
いずれにしても、コレクターの方は、物に人の姿を見る。そう、わたしは信じています。そしてたぶん、それが「美的体験」と呼ばれるものであり、そこに物の「価値」が生まれる。さらにその積み重なりによって、人間の「文化」や「芸術」がかたちづくられているのだと思います。
だからこそ、わたしは、コレクターの方は、自らの物との出会いの「物語」を語るべきだと思います。それは極めてパーソナルな体験ですが、だからこそ語ることに「価値」が生じる ── あなたにしか語れない物語だからこそ、あなたが語らなければ、あなたが所有する「物語」は、また単なる「物」に戻ってしまうのですから。
わたしたちは、「LOVE MY LIFE BOOKS」という活動を通じて、そうしたコレクターの方の「思い」を記すお手伝いをすることで、物の「価値」を高め、人間の「文化」の発展につなげていくことができれば良いなと思っています。
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