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LOVE MY LIFE BOOKSで本をつくってくれた古谷温子さんのエンディングノート作成講座「しあわせのみちしるべ」セミナーに参加してきました。

更新日:2019年11月20日

このブログでもすでに何度かご紹介していますが、古谷さんが提案し自ら講座を開催しているエンディングノート「しあわせのみちしるべ」は、従来の自分の死後に備えるエンディングノートとはひと味もふた味も違う「より良く生きるため」のエンディングノートです。


もっと言うなら「自分自身を見つめ直し、自分にとって本当に大切なことを発見・確認して、人生を悔いなくしあわせに生き切るため」のノートでしょうか。(古谷さん、ニュアンス的に間違っていたらごめんなさい!)(^.^;)


さて、「しあわせ」というものは、自分ではわかっているつもりでも、実はなかなか気づいていないことが多いものです。メーテルリンクの『青い鳥』や、サン・テクジュペリの『星の王子様』、あるいはミヒャエル・エンデ『モモ』などもそうかな、古くから世界の多くの作家たちもほんとうの「しあわせ」とは何か?をテーマとして描いていますよね。


「しあわせのみちしるべ」セミナーは、自分の心の内に隠れている「しあわせを見つけに行く旅」のガイドというべき講座でしょうか。古谷さん自身も、今回つくらせていただいた本のなかで、自分にとってエンディングノートとは「しあわせの地図」づくりだと言い切っています。だから彼女はいわば、その旅で迷子にならないように同伴し導いてくれる水先案内人でしょうか。


でも「しあわせ」って、なんとなく抽象的な概念では?「しあわせ」って具体的にどんな風に言葉にできるの?


ですよね! そんな疑問もわかなくもない。


実はわたしもそこに興味を覚え、一度セミナーを見てみたいなと。ちょうど今回は、全5回の「しあわせのみちしるべ」講座のイントロダクションとなるセミナーでしたので、参加させていただいた次第です。



★というわけで、以下、わたしが体験してきた「しあわせのみちしるべ」イントロダクションセミナーレポートです。

セミナーのスタートは、古谷さんがなぜこの「しあわせのみちしるべ」講座をはじめたかというお話からはじまります。


古谷さんは、ちょうどエンディングノートについて学んでいる最中に、お父さんがお亡くなりになります。その経験と実際に自らがエンディングノート講座をおこなうなかで、お父さまを看取った立場の自分自身が何か物足りなさを感じるようになったそうです。

とくに痛感したのは、お父さまについてもっと知っていれば、もっとできることがあったのではないかということ。


そこから古谷さんは、相続や埋葬などといった手続きや手配のあれこれももちろん大切なことだけど、エンディングノートに記すべきいちばん大切なことは、その人がほんとうに伝えたい思いや、ほんとうに望んでいることだと考えるようになったと言います。


また、その人が思いを伝えることは、伝える本人だけでなく周囲の人にとってもなによりも重要な「人生のしあわせ」を大きく左右することではないか、とも・・・そうして古谷さんは従来講座で使用していたエンディングノートの構成を大きく改変し、新しいエンディングノート「しあわせのみちしるべ」を用いた講座をスタートしたわけです。


さて、このあたりの古谷さんの思いは、ご自身の本『しあわせのみちしるべ』にも著わされていて、わたしも強く共感をもって聞いておりました。ご興味をお持ちになった方は、ぜひご一読していただければ幸いです。



では、改めて本題に戻って、実際に「しあわせ」をどんな風に見つけ出していくのか?


今回は、お試し体験レッスンとして、以下のお題を古谷さんは出されました。


「あなたが一番好きな家族の食卓の絵を描いてみてください。」


えっ、文字ではなく絵を描くの? 意外な??のお題に対して、うーんと思いながらも、まず食卓の四角い線を引いてみました。


(さて、ここからは絵を描きながらの、私の思考の再現です。心の声というやつですね ^^;)


わが家は4人家族なのでとりあえず4人が座れるサイズのテーブルをイメージして。はて、ぼくが好きな料理はなんだろう?家族で囲むならやはり大皿だな、と思い、またとりあえず真ん中に大皿の円を描きました。それに4人分のお茶わんと各々が料理を盛るプレートとコップかな。

さて、この大皿には何が盛られるべきか?・・・しばし黙考・・・ああ、刺身だな。中華でもイタリアンでもフレンチでもなく、活きのいい生魚だ。刺身とごはんとすまし汁かな?いやいや、待てよ、違うよ。それだけでは寂しいよ。


※ここで、はっと気がつきました。(←ト書きのようなもの)


わが家の一番楽しい食卓は手巻き寿司だと。大皿にいろんな種類の魚を盛り、たっぷりの酢飯を用意して、それぞれが好きな魚やツマをのり巻きにして食べる。具材のセレクトや巻くごはんの量など好き勝手にやるので、家族それぞれの個性が出て、会話も弾むのだ。


※そしてさらに気がつきます。


これはぼくの両親がしてくれていたことだ。ぼくら兄弟が実家に揃うと、必ず手巻き寿司が用意されていた。ぼくらが結婚して子どもができて、一番多い時は13人でひとつのテーブルを囲んで(いや、テーブルひとつでは足りなくて、もうひとつ、小さなテーブルをくっつけて)皆でにぎやかに楽しんだものだ。父と母は、それぞれその長いテーブルの短辺に座って、笑顔でぼくらをもてなしてくれた。

ああ、これはいちばん無邪気にしあわせが感じられた家族の光景だ、歳月は過ぎて、もう二度と全員が集まることはできないけれど、あのテーブルに並べられたあの料理を思い出すと、あの頃のそれぞれの顔が浮かんでくるよ。


(絵を描き終えたので、心の声は終わります ^o^;)



「自分自身にとってほんとうに大切な思い出は、意外と忘れられているものです。それは本人にとってあまりに当り前で自然なことであることが多いから」と古谷さんは言います。

財産でもなく、地位や名誉でもなく、自分がほんとうに大切にしておきたいものは思わぬところに隠れている、と。


たしかに、思い出とは不思議なもので、頭の中で言葉だけで思い出そうとしてもはなかなか出てこないものです。たぶんそれは、思い出が「場」であり「シーン」であるからなのかもしれません。「しあわせな家族の食卓」もまさにそうで、その場所にいて、料理を味わい、会話がはずみ、とても楽しい時を過ごしている。そのシーンのかたまりを想起できなければ、しあわせな食卓」というものは言葉にする事ができない気がします。そう、思い出は、決して言葉ではないのです。


古谷さんが「絵を描いてみて」と言ったのは、そうしたしあわせな時の思い出を掘り起こすためのスイッチだったです。


「人生最期の食事に何が食べたいか?」とは、誰もが一度は訊かれたことがあると思いますが、単品の料理を想像してみてもなかなか、これという答えはなかなか出てきません。少なくともわたしはそうでした。


でも、いまはどうでしょう?


最期の食事に、そこに家族がいて、その場で手巻き寿司を巻いてくれたら、ぼくはきっとそれでとても満足すると思う。具材は大トロじゃなくていいよ、きっともう脂身はきつ過ぎるだろう。できれば岡山でよく食べた柔らかくてあっさりとした鰆の刺身がいいな。あと、具材を巻く海苔はパリッとしていてほしい、ぼくの手の触感がそれを記憶しているから(笑)。たとえその時、もうそれを食べる元気が無くなっていても、きっとぼくはとてもしあわせを感じるのではないだろうか。(突然の心の声!)



かつて日本の精神を表象し続けた小林秀雄という随筆家がいました。その人の有名なこんな言葉があります。

『美しい「花」はある、「花」の美しさという様なものはない。』

それは同様に、こんな言葉にも言い換えられるのではないでしょうか。

『しあわせな「時」はある、「時」のしあわせという様なものはない。』


しあわせとは、「はい、これがしあわせです」と簡単に示せるものではなくて、極めて個人的な思いや記憶のパーツから織りなされて生じる“時と一体の心象風景”のようなもの。唯一無二の“美しい花”のようなもの。


古谷さんが「しあわせのみちしるべ」セミナーを通して実現しようとしているエンディングノートは、そんな一人ひとりの「しあわせな時」を再度見つめ直し、自分自身が心から素直にしあわせと思える人生を再発見し、さまざまに活用するためのノートなんだと思います。


古谷さんのセミナーは、さらにこの後もそれぞれの描いた食卓の絵を講評しあい、一人ひとりそれぞれ違う「しあわせのあり方」などについて語り合ったのですが、実はわたしは次の予定があって、残念ながら絵を描いたところで退席してしまいました。

また次の参加の機会を楽しみにしたいと思います。


★古谷温子さんの「しあわせのみちしるべ」講座にご興味のある方はこちらのメールアドレスまでご連絡ください!  lifeendingassist@gmail.com

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